毎週金曜日は映画マニア瀧本による”大人の金曜ロードショー”【性描写のある映画】をご紹介いたします。
名前ってなに?
バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても
美しい香りはそのまま
———「ロミオとジュリエット」シェイクスピア
今回は行定勲監督、宮藤官九郎脚本で各映画賞総ナメにした映画『GO』です。
物語は在日韓国人の杉原(窪塚洋介)が人種差別という壁に打ちのめされそうになりながらも正面から向き合い、友情や、桜井(柴咲コウ)との恋愛などを経て自らのアイデンティティに目覚めていく青春映画です。
『GO』はとにかくかっこいい!
出てくるキャストのキャラも全部かっこいいし、シリアスな題材を扱っているのにも関わらず笑えてかっこよくて考えさせられる。個人的にはクドカン脚本の最高峰だと思ってます。
なにより主演の窪塚洋介のカリスマ性とか人間味が感じられる演技がめちゃくちゃかっこよくてシビレる。
『池袋ウエストゲートパーク』しかり、『ピンポン』しかり、クドカン×窪塚は最高!
ポイントになるシーン
アイデンティティを見出していく上でポイントになるシーンがあります。
その中のひとつ、朝鮮籍で共産主義者の父親(山崎努)と息子(杉原)のやりとり。
父「左腕まっすぐ伸ばしてみな、坊や。そのままぐるっと一回転しろ。
・・・よし、今、お前の拳がひいた円の大きさが、大体お前っていう人間の大きさだ。
言ってることがわかるか?坊や。
その円の真ん中に居座って、手の届く範囲のものにだけ手を伸ばしてりゃ、お前は傷つかずに生きていける。
そういう生き方、どう思う?」
子「ダセえ」
父「円の外には強い奴がいっぱいいるぞ。そいつがお前の円の中に入り込んでくる。
殴られりゃ痛えし、殴るのも痛いってことだ。
それでもやるのか?円の中にいる方が安全だぞ?」
子「やる!」
父「始めるぞ」
高校生になった息子は今まで通っていた朝鮮学校ではなく日本の高校に行くことを決めるのだが、その時のセリフ。
子「広い世界を見るのだ」
父「好きにしろ」
文字じゃ全っ然伝わらないけど、このやりとりめちゃくちゃかっこいいんです。
さて、自分はどちらの道を歩んでいるか。
桜井との初夜
杉原は桜井とデートを重ねてだんだんと距離を縮めていくのだが、一度桜井の家に行った後、「この日からデートはもっぱら桜井の家になった」というのがあーわかるなー、と思ってしまう。
高校生には動物園でのデートより、お家デートの方が重要だよね。
真っ暗な部屋に脱ぎ散らかされた衣服、”とても恥ずかしくてお見せできないことをいっぱいしてる”最中にお姉ちゃんがおやつを持ってきてくれて、急いで洋服を着なおして平然を装うのとか、青春だなと思いながら観てしまう。
懐かしいななんて思ったけど、よく考えたら自分にそんな経験はなかったので、私の過去の記憶は大部分が観た映画の影響を受けているのかもしれない。
ずっと一線は越えていなかった二人にある出来事が起こり、ついにその夜を迎える。
月夜の中、手を握り合い、愛を確かめ合っていくが、いざひとつになろうとする前に杉原は「言わないと前に進めないから」といって自分が韓国籍で日本人じゃないことを伝える。
「はい、おしまい」と言って再開しようとする杉原の手を拒否する桜井。
頭ではわかるけど、だめなの
私の体に杉原が入ってくるのがこわいひどいよ、急にそんなこと言ってこんな風にしちゃうなんて
はじめてだったの。それでなくてもこわかったの。
自分のありのままを知った上で受け入れてほしい杉原の気持ち。
はじめての直前に相手が思い詰めていたであろうことを言われて、体に他人が入ってくる不安の上に頭も心も揺さぶられて、余計に不安になる桜井の気持ち。
お互いは違うことで不安になっているのだが、そのことを当人同士はわかっていない。
というすれ違い、最初に見た頃は私はどちらかというと杉原の気持ち派で、桜井が「なんだそんなこと?」とあっけらかんとする姿を期待していたので、なんで拒否するんだろう?と思って観ていたが、大人になって両方の気持ちがわかるようになりました。
言葉足らずやタイミング、自分が不安になっている状況ってすれ違いが一番起こるし、それで人って傷ついたりするんだよね。
本当は想い合っているはずなんだけど。
しかしながら月明かりに照らされる傷ついた杉原の裸体は尋常じゃなくかっこいい。

残念ながら一線を越えるシーンは映画では出てきませんが、はじめてのセックスで自分の想いを込めるって素敵だなと思うんですよね。
若い時はものわかりなんて良くせず、”したい”ものはしたい!”したくない”ものはしたくない!と自分の想いをまっすぐに伝えるくらいが良いような気がします。
現実とリンクするかっこいいキャラたち
性描写とは離れるが、この映画にはかっこいいキャラがたくさん出てきて、その中の一人、杉原の母(大竹しのぶ)がイキってる高校生に向かっていうセリフ。
「わかったような口聞いてんるじゃない!
親のスネかじってる間はねぇ、韓国も朝鮮も日本もないの!
ガキなんだよガキ!」
一見横暴なようにも見えるけど、在日として世間をみてきた母だからこその言葉には愛を感じたり。
杉原の先輩、人種差別に真っ向から歯向かうタワケ役に山本太郎が出てて、こんなセリフを言っている。
「恐ろしいな権力って。
よっぽど早く走らないと逃げきれねぇ。
お前俺の後継者だからな。ほら、行け!」
その後消息不明になったタワケ先輩だが、
「どっかの道を走ってることだけは、間違いないよ」
と親友とタワケ先輩について話している描写が、現実とリンクしちゃって鳥肌立つ。
『GO』は2001年の作品なので18年後の今、権力に噛みつく役をしていた役者が政治家になって日本を動かそうとしているとか、映画はフィクションだけど今また観るとメッセージが強すぎる。配役が秀逸すぎ。
そんな風に勝手に現実とリンクしていると思うこともあるが、映画の中で行われる行為をフィクションと捉えられず、発せられているメッセージを考えることなく行為だけを真似してウケを狙うような大人が溢れるようになったので、今はなかなかこんなにかっこいい映画を創ることが難しいのかもしれない。
SNSで信憑性があるのかないのかわからない情報ばかり収集して考える作業をせず、誰かが打ち出した”成功する方法”や”結果を出す方法”をそのまま真似して、経験したこともないことを分かった気になっている状態では、一生物事の本質なんてわからないし、人生も面白くないんじゃないかと思う。
思考することは大事だ。
AVを教科書にすることもそう。
膣に伸びた爪のまま指を入れて、ガンガン突いたり潮なるものを拭かせようと掻き出す行為は少し考えれば激痛だということがわかるはずだが、考えない。
自分のお尻の穴に伸びた爪のまま指を入れられて、ガンガン突いたり掻き回されたりすることを想像すればすぐにわかるものだと思うが、考えない。
多すぎる情報の中で現代人が失われるものは思考力なんだろうなと。
これだけ映画賞総ナメにした作品にも関わらず、思考力の低下した現代ではコンプライアンスを厳しくしないとそのまんま真似したり悪い部分だけ捉えられたり、”賞を獲ってる=映画でしてること全部良い”っていうアホ解釈が生まれる危険性があるから、本物の金曜ロードショーでは絶対放送されないと思うが、本当はこれは現代だからこそ観るべき映画だと思う。
この映画では国籍や人種について悩むことが描かれているが、それだけじゃなく「自分とは何者か」、自分の性について悩む方にも力をくれるのではないだろうか。
『バラ』の名前が「花子」でも「太郎」でも「レオナルド」でも「ソヨン」でも、美しい香りはそのままなんだろう。