セックスをもっと素敵なものにするには 『8割セックス』

大人の金曜ロードショー『失楽園』

毎週金曜日は映画マニア瀧本による”大人の金曜ロードショー”【性描写のある映画】をご紹介いたします。

男「どこがいい?」
女「全部… 感じてしまう」
男「(クスッ…)旅行だよ。どこ行きたい?」
女「どこへでも。あなたとなら」

今回は官能映画の金字塔『失楽園』です。

簡単に言うと、不倫にハマり肉欲に溺れ、仕事や家庭を捨てる中年男女の物語なのですが、その目線だけで見ると少しつまらない映画になってしまいます。

「究極の愛」というキャッチコピーになっていたので、”不倫=究極の愛”なのか!と当時批判が殺到したんだと思いますが、実際映画の中で描かれているのは究極の愛とはだいぶ程遠いです。

みんな批判する前にちゃんと観たらいいのに。

主に描かれているものは”会社員の悲哀”で、人生の物悲しさなど終始救われない内容ですが、そこから逃れるために行き着いたのが愛欲にまみれた不倫セックスなので、色々とゲスいです。

みどころはバリエーション豊富な濡れ場でしょうか。

  • 能観劇からの外から見えちゃうホテル
  • 着物
  • 仁王立ちフェラからの喪服プレイ
  • 温泉&浴衣
  • ソファの上
  • 張り手(SM?)
  • ワイン口移し

20年以上前の映画ですが、エロの王道ってこうも変わらないものかと。デートが焚き木の明かりで観る能の観劇って、大人過ぎやしませんか?

50歳久木役の役所広司さんと38歳凛子役の黒木瞳さんが主演なのですが、二人とも色気がすごいのと、絡み方が今の女性用AVの比じゃないです。おそらく、これのエロさが不十分と思う方はいっぺん修行した方が良いですね。

この時代、久木は一体どこでこのテクニックを身につけたのでしょうか?それが気になって仕方ない。

焦らしながら愛撫して、いろんなところを舐めて、賢者タイムに女性の方が寝ているくらいなので、相当すごいんだと思います。(←どんな観察)

ただ凛子の方も負けておらず、かなり攻めてます。

この時代(といっても時すでに平成ですが)に女性がガンガン攻めていることが、今でも結構衝撃です。

凛子の旦那が凛子をプロレスのごとくベッドに押し倒し、嫌がられたので「俺のやり方は嫌なのか!」と聞くシーンがあるのですが、「そりゃ嫌でしょ」とは思いつつ、世の中の多くの男性はこちら側だったのではないかと思います。典型的”セックスのやり方がわからない男”の描かれ方が秀逸でした。爪伸びてたし。

当時”不倫”をテーマにした作品であり、濃厚な性描写があったにも関わらず、結果として映画は大ヒットし流行語にまでなることに。なんとその背景には幅広い年齢層の女性からの支持があったそうです。

みんな久木と凛子の気持ち良さそうなセックスや、女性が能動的になることに憧れたんでしょうね。

「好きな人を愛するのは自然でしょ?それなのに、一度結婚したら許されない。夫以外の人を愛したら、途端に不倫だとかふしだらだとか言われてしまう。愛せなくなったのはいけないけど、でも途中で気持ちが変わることだってあるでしょう?
愛せなくなった相手と無理にいることは、かえって相手を傷つけて裏切ることになるわ。」

たぶん世の多くの女性がこのセリフに感化されたと思います。

色気も何もない夫婦生活の中で、めくるめく情愛に身を委ねる凛子の姿に、映画の中だけでも自己投影していたのではないでしょうか。

ただ冷静に観ると主役二人の発言はクズそのもので、”男女は昔から変わらないことばかりしている。でも君は違う。”というような話をしている時に、凛子の性器を触りながら、

「君に才能があったからさ。なんといってもここが良かった」

お互い好きなところを言い合うシーンでは

「エッチでどこかバランスの崩れている君が好きだよ」
「あなたの好きなとこも、やっぱりエッチでバランスの崩れているとこよ」

…そこしかないんか。
という人間性を認め合う的な崇高な話ではないところが瀧本は逆に好きです。

元は官能小説なのでパワーワードがたくさん出てくるのですが、その中の一つの凛子のセリフ。

「もう他の人とはできない。こんなにいいんだもん」

メモりました。

そう思ったら言った方が良いですね。それともそう言っているとそうなるのでしょうか?

映画の中で”クレソンと鴨の鍋”というのが出てくるのですが、そんなオシャレなものがこの時代にあったんですね。90年代なめてました。第一次タピオカブームもこの時代でしたもんね。

今をときめく”あいみょん”さんの「二人だけの国」という曲は、この『失楽園』から影響を受けて書かれたそうです。曲を聞いたら昭和生まれとしては「 ……。」となってしまいましたが、今の子はこんな感じに変換するんですかね。

久木は会社という牢獄から、凛子は結婚という牢獄から抜け出し、人生を謳歌し始めたわけですが、今の時代に置き換えると状況がだいぶ変わってきます。

久木は出世コースから外されたとはいえ、自由に旅行に行け、持ち家とは別に凛子のために別宅まで借りられる収入があります。

不倫がばれたら奥さんからは「離婚しましょう」とあっさり提案され、子供達も立派に成長しているし、慰謝料さえ払えば晴れて自由の身です。大した痛手ではありません。

一方凛子は話題の超美人書道教室講師。今はアルバイトですが、フリーで書道教室開催したら一人で食べていけるくらいは稼げるでしょう。

子供もいないし、夫からの抵抗を受けたとしても別居して時間さえ過ぎれば40歳頃には離婚成立し、フリーになります。

一見何の障害もなく二人が一緒になれる未来が見えた気がしますが、女盛りで手に職持ったバツイチ超美人が、52〜3歳になったおっさんだけを相手にするでしょうか。

久木、凛子に「あそこがいい」とかそんなようなことしか言ってなかったですが、勃たなくなったらどうします?凛子満足させられます?

女性の喜びを知った凛子だったら、おそらくもっと色気と体力があり、病気になる心配もまだ先の同世代の人に移るか、元気ハツラツ20代ピチピチ健康体の若い男を食いまくるかの2択になるでしょう。

そこでこのパワーワードの威力が発揮されます。

「もう他の人とはできない。こんなにいいんだもん」

凛子はこのセリフを様々なところで駆使し、楽園を築き上げるのです。

一方感度も高く、自分の性癖も全て受け入れてくれ、積極性もある美しい凛子の体を知ってしまった久木は他の女性に移れるのでしょうか?
そして勃たなくなったバツイチ子持ち、会社の役職も地味な加齢臭漂う50overのおっさんを誰が相手にするのでしょうか?

はい。ここからが本当の『失楽園』です。楽園を失うのは久木だけなのです。

時代が令和でなかったこと、二人が一緒になったその後が描かれる作品でなくてよかったね、とつくづく思います。

これらはただの私の偏見ですが、物語のメインテーマ”会社員の悲哀”に戻しますと、おそらく映画の中で監督が一番言いたかったことはこれ↓です。

久木が出世コースから外された時、後任として役職を任され業績を上げていたが、突然子会社への転籍を命じられた”水口”という久木の同期の存在。

「サラリーマンなんて他愛ないものだ。もうこんなやつ要らんと思われたら、紙くずのように捨てられる」

と失望を久木に漏らします。
それに対して久木は徒然草の言葉を引用して答えます。

「夏果てて、秋の来るにはあらず」

夏が終わって急に秋になるのではなく、夏のうちにすでに秋の気配は作り出されている、という句です。

「自然も会社の人事も、ある日突然動くようにみえるが、その底ではすでに前から動いていたのに、こっちが気づかなかっただけなのかもしれん。」

その後水口は末期ガンが見つかり、あっという間に亡くなります。社内では理不尽な異動のストレスのせいではないかと噂される。

そんな水口が最後に久木に残したセリフ。

「俺もお前のように遊んでおくんだった。
どうせ人間老いぼれて死んでいくんだから、やりたいことをやっておかねばいかん。」

病床で何もできない状態になってから悟るのです。

きっと会社のため家族のため、それを自分の尊厳だと思い身を粉にして頑張ってきたのでしょう。そこで悟ったのがこれって辛すぎる…

不倫や退職、社会からの逸脱を肯定するわけではないですが、後悔のないよう出来る時にやりたいことをやったほうが良いですね。

偏見や障害に捉われず、自分自身も性を楽しむことを忘れずに、発信していかなければ。

若い時に見てもただエロいだけで面白くなかった映画No.1じゃないでしょうか。大人になってから観るとエロさと共に哀愁を感じられると思いますので、秋の夜長にオススメです。

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